第2694回例会(2017.5.15) Regular Meeting

第2694回例会  平成29年5月15日(月) 曇  “友愛の日”
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◇“奉仕の理想”
   
◇出席報告
  会員:90名  出席:65名  出席率:72.22%
前々回(4月17日)修正出席率(85名):91.76%
   
◇誕生日祝福
  加藤(坂)夫人(5/17)、福田君(5/19)、松田君(5/21)
   
◇ニコボックス
  山中君(水野さん、島岡さんにお世話になりました)
大野君(後藤さんにお世話になりました)
馬場君、稲葉君(ニコボックスに協力します)
水野(茂)君(奉仕に協力します)
福田君、松田君(誕生日祝)
加藤(坂)君(夫人誕生日祝)
宮島君(結婚記念日祝)
   
◇ワールドフード+ふれあいフェスタのお知らせ
(本多次年度ガバナー補佐)
   今年も10月14・15日に「ワールドフード+ふれあいフェスタ」が開催されます。会場は、久屋大通公園のもちの木広場と希望の広場です。
 東名古屋分区も希望の広場(噴水のある広場)にブースを当日出すことになっています。
 広告協賛は30万円から3万円まであります。3万円で結構ですので、是非とも協賛いただきますようお願い致します。
 協賛金は会場設営に使い、余剰金は、例年通り、アジアの貧しい国に寄付します。去年はインドネシアの子供達の教育に寄付しました。
 ご協力よろしくお願い致します。
   
◇たべあるきの会のお知らせ(濵親睦活動副委員長)
   今年度最後の「たべあるきの会」は、桑名の蛤しゃぶしゃぶの「日の出」を予定しています。席の関係上定員は25名で、すでに15名の方から申し込みをいただいています。ご希望の方は席に限りがありますので、誠に申し訳ありませんが、先着順とさせていただきます。
 交通手段につきましては後ほどご相談ということでお願い致します。
 皆様のご参加をお待ちしています。
   
◇國府谷幹事報告
   本日例会終了後、「クラブ創立60周年記念実行委員会」がございますので、実行委員の方は「3階 松竹の間」へお集まり下さい。
   
◇後藤副会長挨拶
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   先月の挨拶で、なぜロータリーは7月1日が新年度なのかという疑問についてお話ししたところ、早速いろいろな情報提供を頂きました。例会で話したことにすぐ反応があって非常にびっくりしています。情報提供していただきました皆さん、ありがとうございます。大変勉強になりました。
 例会でお互いにいろいろな話をする。それによってまた、いろいろな回答が出てくる。そこに例会というものの価値があると改めて認識しました。
 私がクラブに入会した頃、先輩たちからロータリー研修を受けました。当時は青少年奉仕がなくて、4大奉仕でしたが、その中で一番大事なのはクラブ奉仕だと。クラブ奉仕とは、親睦である。と、教わりました。
 そして、親睦は例会にある。だから、例会には必ず出席しなさい。と、いった指導を受けたことを思い出します。
 米山奨学制度を設立された米山梅吉翁に「例会は人生の道場である」という言葉があります。
 このクラブを見ましても、様々な職業の方、また職業を通じて磨き上げられた人間味のある方々がたくさんおられます。自分がわからないこと、あるいは疑問に思うこと、悩んでいること、それらに対して、サジェスチョンを与えていただけます。
 例会がいかに大事であるか。入会した当時に言われた、「例会は必ず出席しろよ」という言葉の意味がやっとわかってきたように思います。
 ところで、ロータリー年度はなぜ7月から始まるのかということですが、結論から言うと、毎年開催されている国際大会が原因だそうです。
 第1回の国際大会は1910年8月18日に開催されました。しかし、会計報告の検討や、クラブ代議員数を決めるのに時間がない。そこで、十分な検討期間を設けるために1913年4月の理事会で、6月30日を会計年度の締め日とすると決まったそうです。
 年次大会もそれまでは7月か8月に開催されていましたが、大変暑いので、6月に行うことが1916年に決議されたそうです。
 従って、ロータリー年度は7月1日から始まることになりました。
 例会を通じて、理解することができました。例会がいかに大事か。みなさんも例会の出席率を上げるよう頑張っていただきたいと思います。
   
◇卓 話
  “私の職業について”
会員 島岡 利幸
(株式会社ナゴヤキャッスル 常務取締役 経理担当)
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   私は昭和30年1月4日、大垣で生まれました。趣味はバドミントン、ゴルフ、カラオケです。
 昭和52年、興和に入社しました。最初の赴任地は、綿織物の産地、浜松の出張所でした。フォークリフトもない小さな倉庫で、綿布を肩に担いで倉庫に運び、入出庫の在庫管理と伝票発行。肉体労働の2年間でした。
 3年目から大阪の興和新薬の本社で、会長の秘書として勤務しました。そして、26歳で結婚。
 仕事の方は、出来が悪かったせいか、8か月で浜松に出戻りになりました。仕事は営業で、毎週大阪に1、2泊していました。加工生地を海外に輸出するという仕事に携わりまして、主に大手の紡績、商社が得意先でした。
 入社9年目に語学の研修制度ができまして、1986年8月、31歳で第1期語学研修生として1年間、ドイツのデュッセルドルフへ。しかし、周りは日本人だらけで、結局8か月で学校を辞めました。後半はドイツ人の中で仕事をし、なんとか話せるようになろうとしました。今も語学研修制度はありますが、私が一番悪い成績だったのではないかと思います。
 その後、生地の輸出をする大阪の貿易部の勤務に。当時、オランダ、スペインは興和にとって大事な市場でした。オランダは英語が通じますが、当時スペインはスペイン語しか通じません。そこでバルセロナ生まれの美人先生に9ヶ月で100時間教えて頂き、バルセロナへ赴任しました。
 その後は、海外駐在のため一家でパリに住みました。事務所はルーブル美術館の前です。仕事は極東からの生地の輸入。円高で日本製が売れなくなった代わりに、台湾や香港、インドネシアの生地を売りました。仕事は絶好調で、しっかり働き、よく飲み、充実した生活を過ごしました。
 1995年7月、5年8ヶ月の駐在生活にピリオドを打って、大阪支店の勤務となりました。子供達は私の両親と住むと申しまして、私は大阪で単身生活になりました。仕事は韓国、中国の繊維製品の輸入でした。
 43歳、課長として東京に赴任しました。若手が目指していた営業内容と私の考え方が一致して、意気投合。営業一丸となって、業績はみるみるうちに向上しました。
 9年間の東京勤務で企画畑を転々としましたが、開発本部にも赴任しました。ここで命を受けたのはオーガニック繊維製品の小売販売「テネリータ」です。最初の店舗は青山の骨董通りにオープンしました。今は、六本木のミッドタウンや渋谷のヒカリエ、名古屋ではラシック、タカシマヤ ゲートタワーモール6階にも出店しています。
 その後、香港の現地法人の責任者としての勤務、全く畑違いの電気光学事業部を経て、2011年7月から、なんと33年ぶりに本社勤務になり、2014年6月、株式会社ナゴヤキャッスルに出向となりました。
 振り返りますと、パリでは輸入先の海外店、および代理店の協力で、東京では部下と一丸となって順調に数字を伸ばすことができました。このように方向性をみんなで確認し突き進み、検証し軌道修正をする。この繰り返しがいかに大切かということを学びました。この経験がホテル業でも十分通用していると思います。
 これまで23の国と地域で生活、訪問したことになります。海外通算11年、単身生活20年ですが、もう一踏ん張り頑張って参りたいと思います。今後ともナゴヤキャッスルをどうぞご贔屓いただきますようよろしくお願い致します。
   
◇“友愛の日”
   
◇次回卓話(5月22日)
  “脳卒中の予防”
名古屋脳神経外科クリニック・名古屋脳ドック
院長 玉井 清
(紹介者 嶋谷悧希君)
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