第2649回例会(2016.4.18) Regular Meeting

第2649回例会  平成28年4月18日(月)曇 “友愛の日”
A  
◇“手に手つないで”
   
◇出席報告
  会員:89名 出席:69名
出席率:77.53%
前々回(4月4日)修正出席率(80名):81.48%
   
◇誕生日祝福
  岡本夫人(4/23)
   
◇ニコボックス
  清水君(あづま会京都旅行無事終りました。写真を頂きました)
福谷君、鈴木君、加藤(義)君(あづま会の旅行でお世話になりました)
余語君(あづま会に参加し、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
    鈴木さんより写真を頂きました)
栁澤君(あづま会京都旅行では皆様にお世話になりました。
    鈴木さん、柏木さんより写真を頂きました)
柏木君(鈴木さんより写真を頂きました)
松田君(本多さん写真ありがとうございます)
小田君、梅村君(小川さんより写真を頂きました)
寺田君(四国巡礼34番まで終りました)
鏡君(6RC合同ゴルフコンペで優勝しました)
澤井君(6RC合同ゴルフコンペ・東ロータリー部で優勝しました)
稲葉君(長崎で地震体感してきました)
新実君(ニコボックスに協力します)
水野(茂)君(奉仕に協力します)
岡本君(夫人誕生日祝)
古川(善)君(結婚記念日祝)
   
◇囲碁同好会よりお知らせ
   本日「3階 梅の間」で同好会がございますので多数ご出席下さい。
   
◇岩口幹事報告
 
1.  24日(日)午後1時より当ホテルで「次年度の為の地区協議会」が開催されますので、登録をされた方はお忘れなくご出席頂きますようお願い致します。
2.  次回例会終了後「理事役員会」がございますので、理事役員の方はご予定頂きますようお願い致します。
   
◇増田会長挨拶
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   4月14日の夜、熊本県益城町を中心に起こり、未だに続く地震で被災された数多くの皆様方には心からお見舞い申し上げます。
 このような災害がありますと、平素何もなく過ごしている生活のありがたみをつくづく感じます。
 今日は印象派の巨匠モネについてお話ししたいと思います。
 モネというと「睡蓮」を想像する方が多いと思いますが、彼が睡蓮を描き始めたのはもうすぐ60歳になる頃でした。モネはルノワールより1歳年上で、シャルル・グレールの画塾で知り合った親友同士です。それまで屋内での製作が普通だった絵画を、屋外でキャンバスを並べて光の探求をした仲間でした。
 印象派の絵画技法に筆触分割、あるいは色彩分割と呼ばれる技法があります。パレットの上で色を混ぜ合わせず、見る人の目の中で色が混じり合うように考え出された技法です。絵の具は混ぜるとどんどん黒くなることはご存知の現象です。印象派の画家たちは画面の明るさを大事にしました。その中でも、ルノワールとモネはその技法を一緒に探求しました。
 また、自分の絵に奥さんをモデルとして多く使っているのは、印象派ではルノワールとモネぐらいだと思います。モネが初めてサロンに入選した「緑衣の女性」のモデルは妻カミーユが務めました。親から結婚を反対され、生活費を送金してもらえなかった貧しい頃のモネを支えたのはカミーユでした。
 カミーユとはモネが25歳の時に知り合い、27歳で長男ジャンが生まれ、30歳で結婚しました。モネ35歳、幸せの絶頂期に描いたのが有名な絵「散歩、日傘をさす女」でした。しかし、モネ39歳の時、次男が生まれた後、産後の肥立ちが悪く、カミーユは亡くなりました。
 「サン・ラザール駅」が描かれたのはモネ37歳の時です。「散歩、日傘をさす女」が描かれてから2年の歳月が流れています。この頃、モネにとって画家として、あるいは一人の人間として、いろいろな意味で転換期であったようです。
 モネのパトロンで、パリで百貨店を経営する実業家エルネスト・オシュデからモネは、彼の妻アリスが相続した屋敷に飾る絵を依頼されました。そして、作品製作のためモネは何度もオシュデの家に足を運ぶうちに、アリスと互いに惹かれ合い、ただならぬ関係に陥ってしまったと思われます。そして、イギリスから端を発した経済恐慌のためオシュデは破産し、家族を残して逃走しました。その後、モネはオシュデ夫人とその家族6人を自宅に引き取り、奇妙な共同生活を始めました。この頃に描かれたのが「サン・ラザール駅」なのです。
 自然と風景を愛した画家の人生の中でモネはなぜ駅を描いたのでしょうか。明らかにこの絵の世界は異質です。その後、モネは鉄道も機関車も都市の風景さえも描くことはありませんでした。彼にはサン・ラザール駅にいなければならなかった理由があると思われます。
 モネは彼の妻カミーユとオシュデ夫人の二人の女性から逃げるようにして1877年の冬、サン・ラザール駅に近いモンセ街17番地にアトリエを借り、サン・ラザール駅の連作を描き始めました。そして、モネが見出したのは、駅や機関車そのものではなく、駅や機関車に変化をもたらす大気や光でした。さらに心惹かれたものは、駅という常に変化している空間でした。そこで彼は一つのモチーフを追求する方向を発見したのです。異なる時間の中で同じモチーフを何度も繰り返し描く。光と色という本質の探求が連作の原理だと気がついたのです。モネが見つけた世界です。
 女性問題で苦労したモネが止まり続けた駅で連作という進むべき道を見つけたのですから、これもまた一つの事件でした。人生何が幸いするかわかりません。モネはその後、「積みわら」、「ルーアン大聖堂」、そして「睡蓮」の連作を次々と描きました。
   
◇卓 話
  “私の職業について”
会員 山中 康寛
(山中歯科医院 院長)
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   私は昭和43年11月生まれ、47歳です。本籍は山口県です。もう亡くなりましたが、祖父が歯科医師をしていまして、父が愛知県に出てきました。歯科医師として私で3代目になります。
 平成5年に愛知学院大学歯学部を卒業しまして、父の病院に入りました。並行して名古屋大学医学部研究生口腔外科学講座、及び朝日大学歯学部研究生口腔病理学講座と、週の半分は他の歯科医院で研修を積みました。平成15年に歯学博士を授与していただきました。
 平成21年1月に診療室を継ぎ、同年に日本歯周病学会会員、厚生労働省認定歯科医師臨床研修医指導医をいただきました。今年1月には医療法人山中歯科医院として法人化しました。
 山中歯科医院では地域のホームドクターとして小さなお子さんからご高齢の方まで皆様のお口の健康はもちろんのこと、体全体の健康をも考えて治療に臨んでいます。
 よく噛めて、おいしく食事を味わえるということは、当たり前のようで、健康な人生を送る上で大変重要な条件となります。皆様の生涯の健康をお手伝いするという治療方針の下、お口を中心とした健康管理から治療後のアフターケアまで、総合的な治療をご提供できるようスタッフ一同努めています。
 私は歯科医師という職業を天職と思っています。お口の中の治療により患者さんが笑顔や自信を取り戻し、その後の生活スタイルや健康観をも変えうる可能性を秘めています。全身と歯科との関わりが解明されつつある昨今、これまで以上に益々やりがいのある職業になると思います。
 これからも患者さんの立場に立って、心の痛みがわかる医療人であるよう日々研鑽に努めてまいります。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
   
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◇“友愛の日”
   
◇次回卓話(4月25日 1階 「シャンボール」)
   “ロータリーよどこへ行く ーロータリーの歴史に学ぶー” 
会員 増田 浩男
   
◇次回会合
  4月度理事役員会(3階 「萩の間」)
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