第2611回例会(2015.5.18) 第2611回例会(2015.5.18)

第2611回例会  平成27年5月18日(月)晴  “友愛の日”
A  
◇出席報告
  会員:88名  出席:68名
出席率:77.27%
前々回(4月27日)修正出席率(82名):87.80%
   
◇誕生日祝福
  淺見(敏)君(4/30)、渡辺(英)君(5/14)、松田君(5/21)、山田(哲)君(5/22)
   
◇ニコボックス
  余語君 平野正美君、山田健市君、叙勲おめでとうございます
稲葉君 鈴鹿の藤原岳に登って来ました
神谷君 根木さんにお世話になりました
水野(茂)君、新実君、馬場君、梅村君、カルマノ君 ニコボックスに協力します
淺見(敏)君、渡辺(英)君、松田君、山田(哲)君 誕生日祝
高橋君、平野君、鏡君、鋤納君 結婚記念日祝
   
◇国際奉仕委員会よりお知らせ(岡本委員長)
   先週、ネパール地震被害義捐金募金をお願いしましたが、今週も賜ればと思います。よろしくお願い致します。
   
◇奥村幹事報告
 
1.  本日例会終了後「1階 シャンボール」で「第2回 次年度理事役員会」がございますので「次年度理事役員」の方はよろしくお願い致します。
2.  次回例会は「1階 シャンボール」で行います。
 尚、例会終了後「理事役員会」がございますので、理事役員の方はご予定頂きますようお願い致します。
   
◇山田会長挨拶
  2611-1
   今日もたくさんの会員の皆様にお集まりいただき、例会を開催できましたことにまずもって厚くお礼申し上げます。
 本日は、トヨタ生産方式について成立ちも含めて話します。
 トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎氏は、東京帝国大学を卒業された翌年の大正10年(1921年)、自動車の先進国であるアメリカのフオード社を見学の折、自動車が大量生産される様子を目の当たりにし、日本にもモータリゼーションの波が押し寄せてくることを予見されました。さらに、2年後の大正12年(1923年)に起きた関東大震災で鉄道網が機能停止したのを見て、何としても国産車を開発しなければならないと決心されたとのことです。
 しかしながら、資本力や技術力で劣る日本が、多くの部品を組み立て、自動車を生産するには、知恵と工夫を働かさなければならないと考え、生まれたのが「ジャスト・イン・タイム」の思想だと言われています。そして、この思想が、はじめて実践されたのは、豊田佐吉翁発明のG型自動織機の組立ラインでした。
 余談ですが、古川善次郎さんからお聞きしましたところ、1931年完成されたエンパイアステートビルは16ケ月という超短期突貫工事で完成したが、これにジャスト・イン・タイムの思想が取り入れられていたそうです。
 また、渡辺英信さんからお借りした「戦時期の航空機工業の生産技術形成」の本の中に三菱航空エンジンの軍用機生産システム、通称「前進作業方式」でもジャスト・イン・タイムの思想が取り入れられていたとの記述があって驚きました。
 その後、時を経て大野耐一氏が中心となり、鈴村さんという方を実行部隊長とし、現トヨタ自動車の張名誉会長他が加わり、これらの考えを体系化し、トヨタ生産方式へと発展させました。大野氏は、「生産性向上」のスローガンを掲げ、その目標を達成するため「必要なだけつくる」「少人数でつくる」に挑戦し、画期的な生産性向上を実現しました。「異常の時は自動で止まる」、すなわち人の機能を持った「自働化」機械をつくりあげ、粗材から完成品まで徹底した「1個流し」にこだわった「一貫生産ライン」を実現し、段取り短縮による「小ロット化」に成功し、従来よりもはるかに「少人数」で「短納期」で「必要な数量」を生産できる生産方式が出来上がったのです。
 一方、こうしたラインづくりを進める過程で「つくりすぎのムダを抑える」ために、米国のスーパーマーケット方式が参考になったと言われています。きっかけは1956年ごろ、トヨタ自動車幹部が米国視察の際にスーパーマーケットを見て「店員がそばにいなくても、お客がほしいものを自由に選び、かごに入れ最後にお金を払い、店員は売れたものだけを補充している」このことを帰国後大野さんに報告した。大野さんは、このスーパーマーケットの思想を自動車の生産現場にも導入したらムダのない効率的な運用ができるのではないかと考えたのが始まりで、後工程が必要なモノを必要な時に必要な量だけ取りに行く「後工程引き取り」が考案された。モノができ上がったら持っていくという従来の方式とはまったく逆のやり方です。
 「モノ」には、「かんばん」が取り付けられており、後工程が「モノ」引き取ったら(購入したら)、付けられていた「かんばん」が外れ、前工程の生産指示となり生産され補充される。そのことで必要な時に必要なモノを必要なだけをつくることができるというものです。この「かんばん」方式は、売りのタイミングに合わせ効率的でムダのないやり方でつくる仕組み「ジャスト・イン・タイム」に大きな寄与を果たしました。
 このトヨタ生産方式は、海外ではリーン・プロダクション・システムとかTPS(トヨタ・プロダクション・システム)と呼ばれ、自動車産業のみならず多くの製造業及び非製造業にまで導入され、世界各国で生産性向上や原価低減などに貢献していると聞いています。
 私共の工場でも、国内外を問わず、1980年からM-TPS(マルヤス・セキソートヨタ生産方式)に積極的に取り組むことで、結果として収益改善に結びつき、成果を上げていることを付け加えさせていただきます。
 さて、先週に引き続き「私の心に残るロータリー体験を語る」は真木さん、本田さんに引き続き今日は福谷さんからお話をいただけることになっています、ロータリー研修委員会清水委員長には素晴らしい人選心から感謝します。最後までご静聴よろしくお願いします。
   
◇卓 話
  “「私の心に残るロータリー体験を語る月間」に因んで”
会員 福谷 正男
  2611-2
   私ども豆福は豆菓子屋をやっています。豆菓子は、そら豆や落花生やナッツに寒梅粉というもち米の粉をコーティングして、焙煎し、味付けをしたものです。
 このお菓子を誰がいつ頃から作るようになったか気になりましたが、ほとんどの会社が零細企業で社史や会社の歩みを語る書類などの文献はなく、その歴史がわかりません。
 あるとき、京都の金平糖屋さんで買い物をした際、お女将さんが工場を見せて下さいました。工場では、直径1.5mぐらいの盥が斜めに傾いてクルクル回っているところに、砂糖の蜜を入れて金平糖を作っていました。それは、私どもが豆菓子をつくるときに、落花生やそら豆に粉をまぶす工程と同じでした。
 金平糖は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが織田信長に謁見したときに、キリスト教布教の許しを得るためにプレゼントしたという記録があります。
 ということで、金平糖はポルトガル人が伝え、その金平糖をつくる仕掛けを使って、豆菓子が生まれた。と、考えるようになりました。
 そのため、いつかポルトガルへ行きたいと思っていました。そして、一昨年、RI世界大会がリスボンで開催され、みんなでリスボンへ行こうということで、私は初めてポルトガルの地を踏むことができました。そして、世界大会の後に金平糖工場を見に行きました。
 その旅行でガイドをされた鴨澤さんという女性と金平糖について話しましたら、いろいろ調べてくれました。元駐日ポルトガル大使の夫人の話しでは、大使の故郷に近いモンコルボという街でつくられる、アーモンドの砂糖菓子が金平糖のルーツだそうです。
 これは行かねばと思いまして、鴨澤さんに案内を頼んで、モンコルボへ行きました。とても古い街で、そのお菓子をつくっているところは4、5軒しかないそうです。
 つくっている様は、銅製の平鍋に下から炭火で温めて、その上に皮をとって炒ったアーモンドを乗せて、砂糖の蜜をかける。熱いので、裁縫で使う指ぬきを5本の指につけて、それで砂糖をかけたアーモンドを転がす。その作業を何日も繰り返すと、ゴツゴツした白い層がアーモンドの周りにできてきます。
 日本でも明治時代に職人が平鍋で金平糖をつくっている絵があります。こちらは鏝で転がしていますが、原理的にはモンコルボと日本はまったく同じ仕事に見えました。
 私は、ポルトガルの金平糖が日本に伝わり、豆菓子も作られるようになったと勝手に考えています。いろいろ調べると面白いものです。
   
◇“友愛の日”
   
◇ネパール地震被害義捐金募金結果
   本日は2万5000円で、先週と合計で11万2000円が集まりました。ご協力ありがとうございました。
   
 
6月行事予定
ロータリー親睦活動月間
1日(月)  定款により休会
4日(木)  葵RC創立10周年記念式典
10日(水)  東・昭和RC合同ゴルフ会
18日(木)  市内25RC社会奉仕委員長会議
 地区ロータリー研究会・東風会
20日(土)  地区役員・会長・幹事懇談会
21日(日)  名城RAC創立20周年記念式典
29日(月)  新旧合同理事役員会
   
◇次回卓話(5月25日)
  “保護観察所が取り組んでいる就労支援”
法務省 名古屋保護観察所
統括保護観察官 井坂朱実
(紹介者 鏡 哲也 君)
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