第2610回例会(2015.5.11) 第2610回例会(2015.5.11)

第2610回例会  平成27年5月11日(月) 晴
A  
◇“それでこそロータリー”
   
◇寺田清誌君よりご母堂会葬御礼
   5月6日に母が91歳の天寿を全う致しました。東ロータリーの皆様方には大変にお心遣いを頂きましてありがとうございました。
   
◇出席報告
  会員:88名 出席:69名
出席率:78.41%
前々回(4月20日)修正出席率(81名):92.59%
   
◇誕生日祝福
  一柳夫人(5/14)、加藤(坂)夫人(5/17)
   
◇ニコボックス
  山田(信)君 山田健市さん、平野正美さん、褒章受章おめでとうございます。
         結婚記念日祝
本多君 山田健市さん、平野正美さん、褒章受章おめでとうございます。
      被災高校生支援事業の岩手訪問が無事終了しました
安井君 山田健市さん、平野正美さん、褒章受章おめでとうございます
寺田君 母が91歳の天寿を全うしました。ご参列ありがとうございました
本田君 本日、スピーチをさせて頂きます
柏木君 嶋谷さんにお世話になりました
平野君、大野君 根木さんにお世話になりました
新実君、馬場君 ニコボックスに協力します
笹野君 本田さんより写真を頂きました。安藤(東)さんにお世話になりました
増田君 奉仕に協力します
伊藤君 小川さんより写真を頂きました
一柳君、加藤(坂)君 夫人誕生日祝
古川(博)君、宮島君 結婚記念日祝
   
◇国際奉仕委員会よりお知らせ(岡本委員長)
   この度の「ネパール地震被害義捐金募金」をただ今より行いますので、ご協力頂きますようお願い致します。
   
◇囲碁同好会よりお知らせ
   本日「3階 尚古の間」で囲碁同好会を行います。
   
◇奥村幹事報告
   次回例会終了後「第2回次年度理事役員会」がございます。
   
◇米山功労者に感謝状進呈
  本田伸太郎君(第7回 マルチプル)
   
◇山田会長挨拶
   今日もたくさんの会員の皆様にお集まりいただき、2610回の例会を開催できましたことに、まずもって厚くお礼申し上げます。
 4月29日に発令されました今年の春の叙勲におきまして、学校教育の振興に寄与され顕著な功績をあげられた山田健市さんが、旭日中綬章を、また平野正美さんは、医療に直接携わる業務において、特に重要と認められる職務を果たし成績を上げられたことが認められ瑞宝中綬章を受章されました。改めて皆様でお祝いしたいと思います。今後ともますますのご活躍をお祈りしております。
 久しぶりの例会です。大型連休いかがお過ごしでしたか。私は金沢市に所要があり、そのついでに北陸新幹線で信州長野市に回り、7年ぶりの善光寺「前立(まえだち)本尊御開帳」を見てきました。北陸新幹線開通の後の初めての連休ということで、金沢はすごい人出でした。また長野も7年に一度、丑と未の年に開催される善光寺最大の盛儀で全国から参詣者を迎え、こちらもすごい人出でした。前立本尊の右手と善の綱でつながった回向柱(えこうばしら)の一面に触れれば、前立本尊に触れるのと同じ功徳があり、阿弥陀如来と結縁ができ、ご利益が得られるとのことで本堂前に建ったこの回向柱に触るまでに1時間半、本堂に進み前立本尊に手を合わせるまでにさらに1時間半、山門に上るまでに45分と久しぶりに並び立ち続けた1日でした。
 先週、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に福岡など九州5県と山口、岩手、静岡の計8県に広がる「明治日本の産業革命遺産」が登録される見通しというニュースがありました。19世紀末から20世紀初頭にかけて製鉄や造船、石炭産業の重工業分野に西洋の技術を移転し、日本が近代産業国家になったことを示しているものです。産業分野に携わる者として、この機会に、今一度日本の産業勃興について勉強してみたいと思っています。
 さて、今月の地区テーマは「私の心に残るロータリー体験を語る月間」です。それに因み真木さん、本田さんのお2人の方から「ご自身の心に残るロータリー体験」についてお話をいただきます。素晴らしいロータリーライフや奉仕の精神に何かご参考になればと祈っています。ご静聴よろしくお願いします。
   
◇卓 話
  “「私の心に残るロータリー体験を語る月間」に因んで”
―会員研修を含めて―
会員 本田伸太郎
  2610-1
   私の心に残るロータリー体験を語る、というテーマをいただきましたが、私の場合は研修委員長さんから研修委員会として今年度は何も行っていないので、会員の研修ということも含めてスピーチして下さいとの事ですので、その趣旨にのっとってお話します。私はロータリー歴30年になりますが、大きな刺激は4年程前に地区の研修委員会に配属させられた事です。それまでは、ロータリーに殆んど関心もなく、興味もなく、今の皆さんと全く変わりがありませんでした。そこでは、好むと好まざるに関わらず、ロータリーについて勉強させられました。当地区の研修委員会はRlのパイロット事業(RLI)の会長エレクト研修の役割を担っていましたので会長エレクトさん方より無知では具合が悪かったからです。今日はその中で、ロータリーって何なのかということについて、私なりに知りえたことを、私見をまじえてお話します。
 1919年ポール・ハリスを取材した新聞記者は、「彼が組織したのは、奇妙な団体で、会員はその団体から何も得ないどころか、善を行うという特権を手にするために会費を払うのである」と語っています。
 また1930年ごろ、イギリスの劇作家バーナード・ショーは「ロータリーはどこへ行く、昼飯を食べに行く」と皮肉っています。
 2010年にRIが、日米を含む6カ国で実施した「公共イメージ調査」によると、「ロータリーについては聞いたことはあるが、何をする団体か知らない。」というのが大勢の人々の認識でした、そこで、皆様もロータリアンでありながら、ロータリークラブってなんなのか良くわかってないと思いますので、時系列を踏まえてお話します。
 時系列が必要なのは、ロータリークラブはその性格が時代とともに変わってきているからであります。ポール・ハリスも「世界は常に変化している。ロータリーは、この世界と共に変化して成長していかなければならない。ロータリーの物語は、幾度も書き換えられなければならない。」と言っています。これはロータリー情報マニュアルの巻頭に書かれています。
 ご承知のように、1905年(明治38年)にポール・ハリスがシカゴで友人3人と結成した動機は、お互いメンバー同士助け合いながら事業を行っていこう。という「互恵取引」のためのものでした。そして、競争にならないように排他的、利己的でもある、1業種1会員の原則を定めました。ですからこの時には奉仕の概念はまったくありませんでした。が、あくる年1906年にドナルド、カーターという弁理士に入会を勧めた時に、彼は、そんなクラブは単なる「エゴイズムの団体じゃないか」といって入会を断りました。ポール・ハリスは直ちに反省し、「世のため人のため」ということを言い出します。お互いの利益のために、と思って入っていたメンバーには白けてしまった人もいました。
そんな中、1908年にアーサー・フレデリック・シェルドンという人が入会して、業界及び専門職を代表するロータリアンが常に他人のためになるように貢献し、所属する業界や職業の倫理を向上させ、社会的価値を向上させる役割を担うのだ、その為の1業種1会員制なのだ、と説き利己的排他的でもあった、1業種1会員制と奉仕との整合性を持たせました。そして、He Profits Most Who Serves Best(最も奉仕するもの最も報われる。)と説きます。ですからこの時からServes奉仕(貢献)の概念が入ってきます。しかし、やがて最もよく報われたいが為に奉仕(貢献)するのか?奉仕を餌に利益を得るのか、という意味にも受け取られかねないというので、フランクコリンズというミネアポリスの初代会長がServes Above Self(超我の奉仕)という標語を提唱します。1989年のシンガポールの規定審議会で、Serves Above Selfが第一標語He Profits Most Who Serves Bestが第二標語に指定され、現在に至っています。
 ここでちょっと補足のお話をいたしますが、研修をしていますと「職業奉仕が良くわからない、職業奉仕とは何ですか」と聞かれます。英語ではVocational Servesです。そのまま訳せば、職業を通じての貢献です。Servesを貢献と訳すと非常に解りやすくなります。
 そんな中、1917年にはI Serveという理念に納得のいかない、ヒューストンの会員メルビンジョオンズがWe Serveと唱えてライオンズクラブを設立します。またあくる年の1918年には身体障害者救済問題に強い関心を持つ、エドガーアレンという人が入会して、皆でこの問題に取り組もう、いやロータリークラブはそういう団体ではないんだ、と、I Serve,We Serveの大論争が起こります。この時ロータリーはWe Serveに大きく傾いたわけですが、I Serveを唱えるメンバーも多く、大分裂の恐れが生じました。これを受けて、1923年のセントルイス大会では、この論争に終止符を打つべく、「決議23-34」が採択されました。
 即ち、ロータリーは各クラブが自治権を持ち、自立しているのだから、クラブにおいては、個人奉仕があり、団体奉仕もあってかまいません。しかし、団体的な社会奉仕活動もロータリーとしては認められますが、あくまで個人奉仕をベースにすべきだ。とし、またクラブを超える奉仕活動も個人個人の理解と協力でもって初めて成り立つものだとしました。この理念は現在も踏襲されています。「23-34」号の決議が重要視されるのは、これがロータリーの大分裂を救ったからであります。
 「23-34」号の決議には、それと同時に、ロータリーとは、利己と利他の調和を図る一つの人生哲学である、と書かれていますが、その意味はロータリーとは世の為、人の為に役立ちたいと思っている人の集まりで、実践を伴っている団体だ、ということであります。単に一緒に昼飯を食っているだけではないのであります。
 先頃紫綬褒章を受章した小説家の浅田次郎は、「人は多くの富を持っている時より、世の為、他人の為に努力している時の方が幸せである」と言っています。私達はロータリーから何も得ないどころか、限りなく多くのものを得ているのであります。
   
  “「私の心に残るロータリー体験を語る月間」に因んで”
会員 真木 昭
  2610-2
   私がロータリークラブと遭遇したのは約45年前で、どちらかと言えば不幸な出会いでした。当時私は兵庫県の北部の豊岡という町で電話局長を務めておりました。或る日、取引銀行の支店長がやってきて「ロータリークラブで話をしてくれ。」と頼まれました。
 スマホに慣れた皆さんには想像がつかないでしょうが、当時の電話機は穴に指を突っ込んでダイヤルを回す黒電話でした。家庭の電話は申し込んでから付くまで3年待ち、名古屋から東京への電話も忙しい時間帯は一時間待ちで、NTTの前身の電電公社は大車輪で電話の普及と自動化を進めていました。
 ロータリークラブは地元の名士の集まりと聞かされ、有難い機会だと喜び勇んで出向きました。30人ほどが集まっていました。食事を戴いた後、支店長に紹介され、さあ話をしようと立ち上がった瞬間、10人ばかりが席を立ち、会場を出て行くのです。私は「人を呼んでおきながら、この態度は何だ。失礼な会だ!!」と唖然とし、猛然と腹が立ちました。
 その後ロータリークラブへの入会を勧誘されたことがありましたが、毛頭入る気はありませんでした。しかし、35年前、名古屋に転勤してきた時無理やり入会させられました。前任者から「これも引き継ぎの一部だ。」と強制され、信念を曲げての入会でした。
 入会して魅力的な人々に接してあの悪いイメージは消えました。私も中途で退席せざるをえない場合があり、60%で出席とみなすルールの恩恵を受けています。ただ、その際は「申し訳ありません。」という気持を込めてスピーカーに目礼して退席しています。
 私の紹介者は故西川一男さんです。西川さんからは例会に出席すること、できない場合はメークアップすること、頼まれたことは断わらないことを申し渡されました。
 私はメークアップをエンジョイし、市内のクラブは一通り食べ歩きました。東急ホテルの友愛の日に出されるミニ・ラーメンは中々イケます。また、ドイツのデュッセルドルフのクラブで戴いた白くて太いアスパラガスにヨーロッパの春を感じました。パリ西クラブではワインを飲みながらの食事に1時間を宛てていました。我がクラブの早飯の実情を話したら「日本人は20分で飯が食えるのか!」と呆れられました。
 飲み食いの話ばかりで済みません。ところで、メークアップを最大限に活用したロータリアンが居られました。ノーシンの会長の故荒川長太郎さんです。この方は「昼食はロータリーで採る」という原則を貫かれ、我がクラブへもよく顔を出されました。荒川さんの出席率は500%に近かったのではないでしょうか。何方か、荒川長太郎さんの後を継いで出席率の新記録に挑戦する方はいませんか。
 話題を変えます。暫く前、赤い襷を掛けた尾関さんを見てS.A.A.なるものの存在を知りました。サージャント・アット・アームズは米国の議会における権威ある役職です。先月安倍首相が米国上下両院合同会議で演説した際に先導し、「ザ・プライム・ミニスター・オブ・ジャパン」と大声で議員に紹介したのがサージャント・アット・アームズでした。
S.A.A.は秩序の維持の責任者で、秩序を乱す議員に退場を命ずることができるそうです。
 元総理も新人も同じ権限と責任を持つ議会と同様、ロータリーでも会員は全て平等です。チャーターメンバーもバストガバナーも新入会員も平等です。このように組織の性格が似ていることからS.A.A.がロータリーに導入されたのではないか、これが私の推理です。私語や雑談が度を過ぎてつまみ出されないようお互いに気をつけましょう。
 私はドイツ、フランスの他にイタリアでもメークアップしましたが、どこでも英語を話す会員を傍に付けてくれるなど行き届いた気配りに感銘しました。S.A.A.の尾関さんは、当時、受付の近くにたって客様への目配りをしておられたのだと思います。しかし、これは尾関さんならではの心配りであったように思われます。県外または海外から遠来のお客が突如来訪した場合を想定したマニュアルを整備しておくべきだと思います。
 エレクトも珍しい役職です。米国では4年ごとに大統領の選挙が行われます。候補者が大統領に就任するまでの約2ヵ月間の肩書きがプレジデント・エレクトです。ロータリーがエレクト制度を採用した理由については後で述べます。蛇足ですが、エレクトは発音によっては品位を欠く意味になりますので、注意が必要です。
 さて、ロータリーの最大の特長は役員の任期が僅か1年で、しかも再任しないという人事制度です。このような極めて異例な制度を採ったのは何故でしょうか。私は、ロータリークラブ創設の当時のシカゴの状況がその背景にあるのではないかと推理しています。
 1837年に市制が施行され時のシカゴの人口は僅か370人でしたが、その後、鉄道のハブとなり、道路と水運が整備され、小売業、軽工業から重工業まであらゆる産業が急速に発展しました。仕事を求め、成功を夢見て国の内外から人々が殺到し、人口は爆発的に膨張して1900年には170万人に達しました。
 1905年2月、ポール・ハリス等4人が初会合を開いた当時の市長はハリソンで、ハリソン一家は親子二代、18年に亘って市制を独占してきました。1906年に出版されたアブトン・シンクレアの小説「ジャングル」はシカゴ市の政治の実態を次のように描いています。
 選挙になるとボスは数百万ドルの資金を用意する。大きな会場は人で溢れ、著名な弁士が演説し、バンドが演奏され、花火が上がり、酒場では酒と食事が振る舞われ、投票が現金で買われる。労働組合の幹部には活動助成の名目で金を渡して懐柔し、新聞には多額の広告費を支払って思い通りの記事を書かせる。
 日曜日の飲酒も売春も賭博も違法であるが、店の経営者に金を掴まされた警官は見てみぬふりをする。盗品の故買屋も、不純なミルクや病気の家畜の肉を売る業者も、不衛生な下宿屋も、ニセ医者も、皆政治家と結託している。警察署長が売春宿を経営し、政治家が酒場のオーナーであるケースも珍しくない。そして、選挙ではこの日陰の社会もまた集票マシーンとして機能する。
 ボスによる支配の弊害を体験してきた人々がロータリークラブの設立に当たり、絶対に権力が偏在することの無いよう1年、再選なしのルールを導入したというのが私の推理です。
 創業者の願いは見事に実現されました。著名人のロータリアンを数え上げれば切りがありません。交響詩「フィンランディア」を作曲したシベリウス、魔の山を書いた文豪のトーマス・マン等々多士済々であります。しかし、ロータリアンとしての有名人はポール・ハリスと米山梅吉の唯2人です。
 一方、この人事制度には継続性に欠けるという弱点があります。それを補うために副会長と会長の間にエレクトを設け、3年間主要な役職を続けることによって施策の一貫性を保つことを目指した---これが私の推理です。
 公平と平等を原則とするこの組織には指揮命令関係は存在しません。ロータリークラブを機能させるのは「頼まれたことは引き受ける」という不文律です。皆さん、頼まれたことは、決して断わらないで下さい。
   
◇ネパール地震被害義捐金の報告(岡本委員長)
   皆様のご協力の結果、8万7000円が集まりました。ありがとうございました。
   
◇次回卓話(5月18日 “友愛の日”)
  “「私の心に残るロータリー体験を語る月間」に因んで”
会員 福谷 正男
   
◇次回会合
  第2回次年度理事役員会(1階 「シャンボール」)
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